自分の人生を生きるとはどういう意味かがなんとなくわかった

昨今では「自分軸」という言葉を見かけることが増えました。

  • 他人に合わせるのではなくて、自分のやりたいことをしよう。
  • 好きなことで生きよう
  • 抑圧された自分を開放しよう

そんな意味合いの言葉は増えましたし、こういった言葉が多くの人の共感を得ているのは、生きているうえで何かしらを我慢をしている人が多いからでしょうか。

例に漏れず、自分も言いたいことを言えなかったり、自分のやりたいことが見つからなかったりして「自分軸で生きる意味」なんてものがわからなかったのですが。

ここ最近になってようやく「自分の人生を生きる」という意味がわかってきた気がしています。

この記事では、ベンチャー企業の役員→個人事業主というニート→業務委託のフリーランスとして活動してきた人間が、34年間かけて見つけた「自分の人生の生き方」についてまとめてみました。

自分の人生を生きるとは、「自分の人生に対してのすべての責任は自分にある」と認識すること。

結論から書きますが、「自分の人生を生きる」とは「自分の人生に起きる全ての出来事の責任は自分にある」と認識することから始まると思っています。

いや・・・そんなの当たり前のことじゃないですか?

といわれてしまうかもしれませんが、自分は今まで、「自分の人生の責任は自分にある」と言いながらも全く出来事に対して自分の責任として捉えていなかったのです。

例えば

ある人と口論になることがあり、その後からコミュニケーションが取りづらくなりました。

自分にも非があると思って、自分からその人に謝りに行きました。

ただ、その後も相手は冷たい態度を取ってきました。

自分としても謝ったのにそういう態度を取られるならば、無理に近づこうとは思いません。

結果的に変わらず自分とその相手の間には微妙な空気が流れたまま・・・・。

こんな事があった時、自分は

自分はやれることをやったのに、相手はやってきていない。もうこれは相手が悪いじゃん

と判断して「この状態になったのは相手のせい」という形にしていました。

一応お伝えしておくと。

「相手との間に微妙な空気が流れていること」も「この状態となったのは相手のせいにしていること」も悪いことではありません。

別にこの出来事や取っている行動が「悪いこと」と判断しているわけではなく、

本当に微妙な空気を流し続けたくないならばもっと相手とコミュニケーションを取ったり、人を巻き込んだりして改善に動こうするはずだよね?

その状態を維持している選択をしているのは自分だよね?

ということ。

つまるところ「微妙な空気を流し続ける選択」をしているのは自分なのに、「この状態になっているのは相手のせい」だと思ってきました

これだと「自分の人生に出来事に対しては、自分に責任がある」と思えていないなと。

何度も言いますが、その選択をしている自分が「悪い」というわけではありません。

ただ「自分の人生の出来事には自分に責任がある」と認識するだけで捉え方が違ってくる気がしています。

責任がある=悪い要素がある だと長年勘違いし続けてきた

この事にふと気づいたのは散歩中ですが、振り返ってみると自分は常に何かしらの出来事が起きたときに「それは自分が悪かった」とはいいつつも、「責任自体は向こうにもある」と他責にしてきました。

もちろん自分には責任があるけども、、、

誰かとぶつかったら、ぶつかった相手にも責任がある
一緒にやっててうまくいかなかったら、相手にも責任がある

100%自分が悪いってことはないよね?相手にも責任があるよね??

とずーーーーっと考えてきたのです。

確かに「物事がおきた原因は自分にもあるし相手にもある」のでしょう。

ただ、「自分の人生に起きた出来事の責任は全て自分にある」のです。

どっちが悪いのか??なんていうのは答えのない話です。
誰が見るかによって変わりますし、当事者によって考え方も違います。

ただ、「自分の人生に起きた出来事の責任」は自分にあります。
これは誰とかどうとか関係のなく、ただ紛れもない事実です。

ここを自分の中では混同してしまっていました。

「責任」=「悪い要素」だとずーーーーーっと勘違いをしていたのです。

自分軸という言葉の勘違いを紐解いてみる

だから、よく巷で聞くような

  • 他人に合わせず、自分勝手に過ごしてみる
  • やりたいようにやってみる
  • 一切の我慢を辞めてみる

ということが=「自分の人生を生きる」となるのか?というとそうではないと自分は思っています。

もちろん、他人に合わせすぎたり過度な我慢は良くないことは事実です。
今までやっていなかった行動を取ることで見えることや感じることもあるでしょう。

ただ、それが「自分の人生を生きる」とは本質的には繋がっていない気がするんです。

まず根本的に「自分の人生に対しての責任」を持ってみる。

そのうえでなにをしたいのか、どう生きたいのか、なにが得意でなにか好きなのかを考えて、行動していくことが「自分軸のある生き方」に繋がるのだと思います。

「自分の人生の全ての責任は自分にある」と認識してから、自分の人生が始まりだす

前述した通り、自分はどこかしら自分の人生に起きた出来事を「なにか自分以外のもの」のせいにしてきました。

そうなると、人生で起きる出来事は「自分以外の責任に影響されるもの」になるんですよね。

出会った人・環境・タイミングが良かった、悪かったで判断してしまう。

それって「自分の人生の主導権を別のなにかに委ねている」ことになると思うのです。

別にこのことに良い悪いはありません。

ただ、「人生の主導権をなにかに委ねている状態」で「自分の人生を生きている」という感覚は味わえないのが事実なのではないかなと。

もちろん、大前提としてどんな考え方をしていようが「誰しもが自分の人生を生きている」そんなことは当たり前のことです。

ただ、「自分の人生を生きる」と言葉で考える人は、きっとそんな「赤色って赤色だよね」的な話を聞きたいわけではないと思うのです。

自分を責めるわけでもなく、自分を悪者にするわけでもなく。

「自分の人生の全て責任は自分にある」

そう呟いてみてください。

そう思ってから、本当の意味で自分の人生がスタートするとだと、少なくとも今はそう思っています。

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