プロフィール

このページでは僕自身の経歴を載せておきました。

子供時代は割と優等生でして、自分としても普通の人生を送る予定だったのですが

20歳からは少し変わった人生経歴になりました。

ストーリー調で記載しておきましたので一つの読み物としてお楽しみ頂ければ幸いです。

生活・家族構成

東京都出身 妻・娘と3人ぐらしの30代前半のフリーランスです。

稼働時間は日によって変わりますが、主にカフェと自宅が仕事場。

朝にカフェでその日のやることを終わらせてから、家に帰って来て昼食、その後夕方までPCと向き合って作業してます。

時間を詰めすぎるとパフォーマンスが大きく下がってしまうのである程度の余裕は確保ししつつ、週2度ほど筋トレして、週1で何もしないオフの日を作って過ごしています。

娘は現在2歳。少し言葉を覚えるのが遅いですが、すくすく育ってます。可愛いです。

趣味

漫画読書・旅行・筋トレが趣味です。一時期はベンチプレス95Kgまで上げました。
(それなりにマッチョでしたがしぼみました)

自然が好きなのであちこちの風景を見に行くのが好きです。コロナで最近行けてないですが海外の雰囲気が好きです。30代のうちに色んな国を巡る予定。

小さいことは自然の中に暮らしたいとか思ってました。

あとは現在スマブラでVIPに行くためにオンラインに潜ってます。やる度にボコボコにされてます。(使用キャラはクラウドです)

主なスキルセット

Webマーケティング、コピーライティング、リストマーケティングなど。

SEOやSNS運用は一通りです。

現在はYoutubeと新規事業のプロデュースと、紹介事業がメイン活動ですが、本職はライターです。

経歴

ここからは結構長いので、サラッと読み進めてもらえれば幸いです。

無難に生まれ、無難に生きた学生時代

1990年12月12日 東京都内、三人兄弟の長男として生まれました。

家庭環境は良好で、両親も自慢の父親と母親です。

子供の頃は父親がめっちゃ怖かったので凄い顔色伺っていた記憶がありますが

よくよく考えると現場叩き上げで兄弟3人全員を私立大学まで行かせたのは半端ないなと。

大人になってから偉大さを感じる次第です。

また、母親も料理が好きでしっかりものの母親でした。

小学生低学年の頃、夜に他の家の母親が3人ほど訪ねてきて、帰った後に

自分
自分

あの人達なんで来たの?

母

PTAの責任者みたいなのをやってほしいって押し付けられてるのよね

子の欲目を引いても器量の良い女性ですし、色々と頼りにされていたのだろうなと思います。

んな僕自身は子供の頃は割と優等生キャラで生きてました。

勉強は出来る方だったので、小学校のテストは基本的に満点。

自分
自分

勉強は嫌いだけど得意だからやる

とか言う物凄い冷めた子供でした。

結果的に嫌いな勉強を周りのためにやり続けないといけない!という考えから闇落ちし、中学は割と暗黒期です。

ただ、ありがたいことに周りには恵まれて、中学時代も高校時代も友人には恵まれました。

しかし勉強嫌いは克服できず、高校時代はMMOゲームの「RED STONE」にドハマリし

見事に大学受験を失敗。

滑り止めの滑り止めだった大学に入ります。

大学生時代は物凄い適当に生きてました。

とりあえず単位は取って、適当にサークルに入って過ごす日々。

正直大学生の1,2年はマジでもったいなかったなと猛反省してます。

なにも挑戦をせず、ただ時間を無作為に使っていた時間だったので

それならまだ「漫画を読み漁りまくる」とか「女性と遊びまくる!」

とか突き抜けた行動をしてたほうが良かったなと。

このまま就活して、就職して、

それなりに出世して

結婚して子供が生まれて

そういう人生を生きていくんだろうな。

別にそれは悪くはないよな。

とか思ってました。

当時ハマっていたRedStone、1日10時間はやってた

活字本との出会いとドロップアウト

そんな感じでダラダラ~と生きてた大学3年生の夏から

生は少し変わった方向へと向かいます。

そんな中、大学帰りのファミレスで友達が読んでた

「金持ち父さん貧乏父さん」という活字本。

今までビジネス書を読んだことがなかった僕はプロフィールを読んだ時点で頭に雷が落ちるような衝撃を覚えました。

「お、俺は投資をやるために生まれてきたのかも知れない・・・!!」

割とガチでそんなことを思ってましたね。(んなわきゃない)

その後帰り道に購入。一気に読みふけりました。

「普通の人生で終わってもいいんだけどどうせならば挑戦してもいいよな。」

見事に本に載せられていただけとも思いますが、

何も挑戦してない人生に燻っていたのかもしれません。

その後僕はmixiで出会った人から見事に投資ツールを借金して買うことになり。

ビジネスの世界にのめり込むことになりました。

稼げなかったビジネス人生

結局やりだした投資はぜんぜん稼げなくて、その後も色んなビジネスに手を出しました。

イベントサークルの代表

完全歩合制の家電製品の飛び込み営業

海外サイトを利用した投資

いろいろやりましたが、結局全然稼げませんでした笑

「就活始まってて、周りは動いてるのに」

「俺は就活にも動けてないしなにしてんだろー・・・」

そんな感じで割と絶望しながら日々を過ごしてました。

その後当時「ブログアフィリエイト」を教えているスクールみたいなものに参加。

必死にブログを書いている中、気づけば大学最後の4年生になりました。

フル単からの大学中退

4年生・・・後卒業に必要な単位は「必須科目」である「卒業研究」のみ。

出来る限りの時間をブログやビジネスに注ぎ込みたいと考えていました。

しかし、GPA(大学の成績)が平均程度だったため、研究室は抽選で決定。

それが、「大学内で最も研究がきつい」と言われてる研究室だったのです。

これが悲劇の始まりでした。

最初は研究室もゆるい感じで

「まぁ出来る限り早めに研究を終わらせて帰ろうぜ!」

くらいな雰囲気でした。

しかし、徐々に変える時間が18時から、21時になり。

研究室に泊まる日数が週に1日、2日と増えていき。

気づいたときには研究室に週3,4で泊まる(当然ベットとかないので椅子を並べてその上で寝る)土日のどちらかも大学に来る。そんな生活を送ることとなりました。

そして、当時の僕はその生活をすることになんにも意義を持てていませんでした。

元々希望でもなく興味もない研究対象。

一秒でもブログやビジネス時間を使いたい自分。

しかも前年度と全く同じ研究をすることに無意味さしか感じてなかったため、研究態度も適当になり、研究室メンバーと対立。

半年がすぎる頃にはストレスで蕁麻疹が出ていて、結果的に大学を休学しました。

その後、休学中に借金をしていることを親に打ち明けた所、見事に大目玉を食らい

コンビニ夜勤とピザ配達のバイトで週8バイトを経験。

借金の多くをバイト代で返済しました。

この後の人生でも色んな経験は積みましたが、後にも先にもストレスで蕁麻疹が出た経験はこのときだけでした。(マジでブロークンハートした時も有るのですが、その時にも出なかったです。どんだけ研究室嫌だったんだ)

大学中退後、ITベンチャーの立ち上げに参加

その後、もう一度4年生として大学に通うことになりますが

「自分で研究所を選べないこと」

「もう1年大学に通いながらビジネスは出来ない」と思い

親に土下座して大学を中退。

いたたまれなくなって家出して。

当時付き合っていた彼女の家に転がり込みました。

その後、自分も学んでいたビジネススクールの営業を4ヶ月ほどやった後

「タオカはネットに強いから手伝って」

とベンチャーの立ち上げに参加することになりました。

ベンチャーには最初は下っ端として入りましたが、2ヶ月ほど過ごした後、当時No2だった友達が独立。

僕はその会社に残ったので必然的にNo2になりました。

このベンチャー会社で、リストマーケティング、コピーライティング、Webマーケティングなどの一通りの業務を経験。

一応経営陣であったことから、経理周りや社員マネジメントなどを経験しました。

この時の経験は自分の中で紛れもなく血肉になっています。

子供が出来て自分の方向性を初めて考えた

しかし、5年ほど勤めた後、この会社も辞めることとなります。

3年ほど過ごした後、会社の方向性が大きく変わり、

自分が事業に関わることに意義を持てなくなっていたのです。

独立してしばらくした今でこそ「方向性が違った」と話すことが出来ますが、

当時の自分では知る由もありません。

「自分を育ててくれた会社のことは好き」だけども「なぜかやる気が出ない」

そんな状態の中、奮起や葛藤を繰り返して2年ほどが経過。

気づいた時にはパフォーマンスを発揮できなくなり、自分が会社にいる意味を見失っていました。

直近の記憶だとこの時が一番精神的にはきつかったですね。箱根に2ヶ月で6回行くくらい病んでました。

そして2018年の10月に奥さんの妊娠が発覚。

夜パソコンの前にいる時にふと

「仕事に対して誇りを持ってない自分の姿を将来の子供に見せることが出来るか?」

と考えた時に出た答えは「No」

その時に「あ、気づいてしまったならば俺はもう会社に居られないや」と思い退職を決意。

その一ヶ月後に最低限の引き継ぎを終えてフリーランスになりました。

箱根の天成園さん、めちゃくちゃ通ってました。

余談・今でこそ思う反省

これは今だからこそ思うことなのですが

会社にいる当時から、むしろもっともっと早くの段階から

「自分が何をしたいのか?自分がどんなことをしていきたいのか?」

これを深く考えてこなかったことが何よりも駄目なことだったと強く反省しています。

当時の自分は会社への愛着だけでその会社に残っていました。

「会社のために尽くせば、巡り巡って自分も良い方向に行くだろう」

良く言えば他者貢献の心ですが、自分の人生を他人にぶん投げていただけとも言えます。

「自分がやりたいことではないのに【会社のため】なんて言い訳をして、自分の方向性を考えなかった」

結果的にそれが会社に迷惑をかけましたし、自分自身にも大きなダメージを与えることになりました。

もっと自分のやりたいことや、自分の未来の方向性を日々考える習慣を身に着けていれば。

そうしていたらきっと、会社の方向性が変わったタイミングで早めに話を切り出せただろうし、

もっともっと綺麗に会社と分かれることができただろうなと今では強く反省しています。

フリーランスになってからも割と色々なことがあった

そしてフリーランスとして生きだしてからも割と色々とありました。

まず、住む場所を自然が多い場所に変えました。

そして会社を当初は心が疲れていたので、じっくりと休む期間を取りました。

その後400万円あった貯金は一年で尽きました。

子供が生まれる時には奥さんが羊水過少で入院したりしたり、生まれる時も後少し!というところから4時間産まれなかったり、産まれた子供の足が変な向きだったり、脳になにかあるとか言われました。

流石にこの時は頭が真っ白になりましたね。

Twitterを始めてフォロワーに沢山集まってもらったけども結局辞めて。

タイに友人といった際に命の危険がある様な目にあって。

四苦八苦しながらも一時期は安定した生活を送るくらいになって。

それも捨ててYoutube始めたけどうまく行かなくて。

就職したけども2週間で辞めて。

フリーで生きて色んな所に顔出したりしたけど、うまく行かなくなって借金400万近くになって。

だけども本当にどうしようも無くなって家賃も払えない2日前に全てが解消したり。

本当に人生はよくわからないなと思うばかりです。

無謀なる挑戦と1からの再出発

上記でも書きましたが、フリーランス生活も2年ほどが経過した時、新しい挑戦に挑みました。

このままの生活をしててもなにも人生変わらないよな」

と考えて、Youtubeを始めたのです。

その結果、不思議なことに関わっていた事業も売上が落ち込み。

生活費のために一度会社に就職することになりました。

この時の話は下記のnoteに事細かに記載しております

結果的には、多くの失敗をしたのですが、その後に自分が何のために行動するのか?を位置から棚卸しして、コミュニティの運営、ライター業務、知り合いの会社のマーケティングのお手伝いなど

2021年後半では、1から経験を積み始めました。

現在では発信活動を続けながらも、色んな人とお話して視野を広げていきつつ、

フリーランスやフリーになりたい人の相談に乗ったり

Webマーケや、事業サポートの活動をしている最中です。

写真は近所の人にもらったタケノコ

生き様はわからないけど、死に様だけは決まってる

振り返ってみたらこの30年間、迷いに迷い続けるような人生でした。

ここには失敗経験を多めに書きましたが、成功体験も沢山あります。

ベンチャー時代には一回のプロモーションで数億円売り上げる事業に何度も参加させてもらいましたし、経営者の方と触れ合い、考え方や行動を近くで見れたのは大きな財産となりました。

自分で1からスタートしたTwitterアカウントが1万人にフォローされたことも良い経験でした。

しかし、上記にも書きましたが自分には「自分がやりたいこと」を考える能力が足りなかった。

きっと「なにをやりたいのか?」ってある程度生きると自分の中に溜まっていくものなんですよね。

だけどもそれを考える習慣がないと「考えても自分のやりたいことがわからない」状態になってしまう。

自分もこの状態に陥ってました。

そして、フリーになると「やりたいことがない」状態では走ることはできません。

自分もようやくフリーランスになってから「自分のために生きる」を必死に考えるようになりましたが

「何のために生きるのか?」という所では迷う時も多々ありました。

ただ、なんだかんだでフリーランスとして3年ほど生きてきて、最近決めたことがあります。

それは

「死ぬときには1000人以上の人に囲まれて、惜しまれながら死ぬ人生を送る」

「世の中に『電柱のような人々の生活を進め、支えとなっている何か(有形でも無形でも)』を作る」

ということです。(ソレくらい立派な人間でありたい)

ずーっとずっと、他人のために生きることを自分で決めつける人生でした。

親や周りが喜ぶから、小学校時代は勉強してましたし

ベンチャー時代も「会社のために」ってことしか考えてこなかった。

だから自分のが何をしたいのか?と聞かれても、いまいちピンとはきませんでした。

だけども、自分らしく幸せに生きるためには「自分がやりたいこと」が必要らしいです。

フリーで生きているとソレが痛いほどにわかってきます。

未来を定めたほうがいい。というのもよく聞きはするけどピンときませんでした。

例えば10年後「今から伸び調子のベンチャーにジョインして、バリバリに仕事をこなして(出来るかどうかはさておき)超結果を出して、世の中に価値あるものを生み出して、知名度も社会的地位も資産もたくさん持ってる様になりたいか?」

と言われた際に「なりたい」とは思います。

だけども「絶対にやりたいことなの?」と言われたら、「うーん」という感じでした。

「自分は一体何のために生きるのか?」

これを深く考えた時に

じゃあ「死ぬまでに絶対やりたいことってなんだろう?」を考えてみようと思いました。

遅かれ早かれ、自分たちはいつか死にます。

それは生物である限り確定事項。

「下手に10年後なんて中途半端な位置じゃなくて、絶対に決まっている着地点(死)から考えたら逆算できるんじゃないか?」

と。

そう思った時に浮かんだ光景は「大勢の人に看取られて死ぬ自分」「電柱みたいなものを作りたい」という漠然とした想いでした。

だから、「大勢の人に看取られて死ぬ人生」と「誰にも看取られない人生」ならば

現段階なら絶対に前者を選びます。これは「絶対」と言い切れる。

だから今は

「死ぬときには1000人以上の人に囲まれて、惜しまれながら死ぬ人生を送る」

「死ぬまでに世の中に『電柱のような人々の生活を進め、支えとなっている何か(有形でも無形でも)』を作る」

ために今できることをやりきろうと思ってます。

今後の人生をどう生きるのか?

唐突に死に様の話をしましたが笑

そんなわけで今はフリーランスとして、情報発信の傍ら、ライターとして独立したい方の支援や、フリーランス・起業家が集まるコミュニティ運営のお手伝い、インフルエンサーのマネジメントなどを行っています。

今までは「何かに繋がるかも知れないから、目の前のことを頑張る」でしたが

今は「自分が納得行く死に様に向かうために、目の前のことを頑張る」と少し軸が出来ました。

正直、何に繋がってるのかがわからないと30にもなると動けなくなってくるんですよね笑
(今までソレでよく動けていたなぁと思います)

後は自分みたいに

「自分には強いやりたいことはないんだけども楽しく強く幸せに生きたい人」

のサポートが出来ればいいなーと思って、フリーランスになりたい人や、独立したい人の相談にも乗ってます。

実際、最近(2021年10月)から色んな人とお話をし始めてみたのですが

気づいたら摩訶不思議な人生経歴になっていたので、大抵の人と話は会うし、話している相手の為になれてるなーという感覚があります。

なので、もし話が合いそうだと感じた人は是非一度ZOOMでお話しましょう^^

Twitterから連絡頂ければ、気軽に対応致します。(その際にプロフィールとかあるとありがたいです^^)

 

このブログでは、そんな自分自身に似た人の人生が活性化するような情報を、生きた記録として残していければと思ってます。

人気記事は下記ですので是非参考にしてもらえたら嬉しいです。

 

最後に

こんなに長いプロフィールを最後まで読んで頂きありがとうございました!!

出来る限り簡潔にまとめたつもりでしたが、7000文字を超えてました笑

何かしらの機会がありましたら、その時は仲良くして頂ければ幸いです。