人に期待をしないということ

「人に期待をしない」とは、一体どんな意味なんでしょうか。

僕らは人生の都度という場面で「人に期待をしないほうがいい」という言葉を耳にします。

  • 誰かに腹が立ったとき
  • 憤りを感じた時
  • 悲しみを覚えた時
  • 心に強いショックを受けた時
  • 欲しくない言葉をもらった時

こんな時のことを振り返り、人と話した時に

それは人に期待するからだよ。期待をしなければ怒ることもなくなるよ

なんて言われたりしてきました。

色々と葛藤を覚えてきたこの言葉ですが、今になってようやく「人に期待をしない」の意味が自分の中で腹落ちしてきそうなので、書き記しておくことにします。

「人に期待をしない」という言葉が、ずっと腹落ちしなかった

思えば、誰かに怒りを感じる出来事があるたび、「人に期待をしない」という言葉を考えることが多かったです。

今までの人生を振り返ると、自分はずっと人に期待をして生きてきた気がします。

  • うまくいかないとすぐ嫌になる。
  • 自分の思い通りにいくのが、当たり前だと思っている。
  • だからこそ、丁寧にやるのは自分のためで、自分の思う通りに人をコントロールしようとしている。

そんな節があったのだろうなと。

じゃあ本当に「人に期待をしない」とやろうとすると、世の中の人全てに関わる意味が持てなくなるような気もしていたんですよね。

本当に相手に期待をしないのであれば、そもそも関わる意味もない

そんなことを考えていたから、「人に期待をしないこと」の意味をなんとなく頭で理解しつつも、ずーっと腹落ちはしていませんでした。

今思うとものすごい極端だなと思う次第です。

「人に期待をしない」とは「責任範囲に明確な線を引くこと」

そんな自分でしたが、人とちょっとだけぶつかる機会があり、ものすごい凹んだ中で、またしても「人に期待をしない」の意味を考えることになりました。

そんななか、今までと違う腹落ちした答えは

「人に期待をしない」ということは「責任範囲に明確に線を引く」だとということ。

例えば、誰にしたって、

「もっとあの人はこうしたほうがいいのにな」
「こういう発言をしたほうがいいのにな」
「こういう行動をしたほうがみんなのためになるのにな」

と思うことはあるでしょう。

実際にその意見が間違っているかあっているかもわからないけど、自分としての考え方を持っている以上は相手に「やってほしい行動」というのは人と関わる以上あって然るべきです。

それを伝えるも伝えないのも自由ですが、大事なのは

「仮に伝えたとしても相手が自分の望む行動を取るとは限らない」と強く認識することです。

ざっくりいえば

相手の行動は相手が決めるもの。だから自分の意思を伝えようが伝えなかろうが、相手の行動は相手の行動でしかないよ

ということです。

例えば、何かあなたが上司の方に対して物事を相談したとしましょう。

そこで上司の方から帰ってきた言葉は、あなたが望んでいる言葉ではないかもしれません。
本当は優しい言葉をかけて欲しかったけど厳しい言葉をもらうかもしれないし、勇気を出して共有した出来事で叱責されてしまうかもしれない。

そこで「あの人は私が望む言葉をかけてくれなかった」と失望してしまうこともあるかもしれません。

ただ、「相手の行動は相手の責任範囲」です。

「相手の責任範囲の行動」にどんなことを思ったとしても「相手の責任範囲の行動」は変えられません。

言い換えれば「人に期待をしない」とは「相手の責任範囲の行動に期待をしない」と言い換えてもいいでしょう。

「相手の責任範囲の行動」に責任を持たない、期待をしない

こう捉えることができた時、「人に期待をしない」の意味がすーっと腹落ちした気がしました。

人と話したり、触れ合っていく中で

「あーここはちょっとこうしたほうがいいな」
「この人はこの部分はちょっと違うな」
「この発言勿体無いな」

と思うことは結局変わりません。嫌なことされたら嫌な気持ちにはなるでしょう。

だけども、そこに対して「責任を手放す」ことで少し感情が揺れたとしても、後に引きずることはなくなるような気がしています。

そもそも、相手だって自分に対して思うことがあるのかもしれません。

自分は「違うな」と思ったことは即座に相手に伝える性分でしたし、それが相手のためになると思っていました。

だけども、必ずしも思ったことを言うことが相手にとって嬉しいことだとは限りません。
それに、言ったとしてもそれが必ずプラスの結果になるとも限りません。

何かを言ったとしても、それを改めるのは相手次第。

仮に言ったことを変えなかったとしても、それに怒りを覚えるのはお門違い。

何度も言うように「相手の責任範囲の行動」は自分が期待をしないほうがいい範囲。だからです。

相手のことをどうこう思うより、自分が何ができるかにフォーカスを当てよう

こう考えると、今までの自分が「自分ではなくて相手」にフォーカスを当てていることに気づいてきました。

もちろん、自分の行動の選択次第で、相手の行動が変化することはあるでしょう。

だけどもそれが必ずしも、思い通りに行くのが当たり前なんて、思ってしまってはいけないのです。

焦点を合わせるのはあくまで「自分の責任範囲の行動」

つまり、自分が何ができるのか?自分がどう動くのか?です。

予測と期待は違います。

期待をして、それが外れたときには、負の感情が多く出てしまいます。

その時の負の感情が、なにか事態を好転させることはまず間違いなくありません。

そんなの、何度も何度も何度も何度も経験してきたことなのに、それでも相手に負の感情を覚える人は、人に期待をして生きているのでしょう。

ある意味では、「もっとよくできる」「もっと良くなれる」と目線を上向き、前向きに持っているからこそそう思ってしまうのかもしれません。

前向きな人ほど、人に、世界にそもそも期待を持つ必要はない

人に絶望するわけでもなく、何かを諦めるわけでもなく。

前向きだからだからこそ、人に期待をせず、相手が喜ぶであろう「自分ができること」をやりましょう。

それが相手を喜ばせることができなかったならば、反省すればいいだけの話です。

世界に期待を持たず、ただ、希望を持って生きていきましょう。

やりたいことはやりましょう。

だけど、変数に人生を委ねることはやめましょう。

期待を持って生きることは、自分の感情を不確定要素に委ねているのに他ならないのかもしれません。

自分自身で行動し、前を切り開きましょう。

そんなことを考えていると、やれることは無限にあるなと思えている今日この頃です。

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